このブログの管理人のライト番長です!
プロフィールをご覧いただきありがとうございます!
ライト番長ってどんな人?
どうしてこのブログを書いてるの?
と、皆さんが気になって夜も眠れない悩みを解決していきます!
全3章の壮大なストーリー。
ではどうぞ。
幼少期

東北の港町に生まれたライト番長。
父親が草野球チームのオーナーだったこともあり、野球に近い環境で育った。
幼いころは父親とよくキャッチボールをしたり、野球を教えてもらったり、試合の応援に行ったりという『野球が生活の一部』という日々を送る。
当時の自分にとって父親は、すっっっごく野球がうまい人だと思っていた。
(これに関する話は後ほど…)
小学校低学年

そんな野球が身近にある環境で育ち、小学校2年からは地元の少年野球チームに入部。
そのチームは昔から地域密着で活動している歴史のあるチーム。
監督は創立当初から指揮を執っている、地元ではちょっと有名な方。
でもこの監督がかなりの曲者。
愛のムチ(今では完全にアウトなパワハラ)は当たり前。
自分の言うとおりに動かないと罵倒される、地元の権力者の息子だけチヤホヤする…。
そんな感じのどうしようもない頑固ジジィでした。
チームに入部するまでは
野球って楽しい!
頑張ってうまくなりたい!
と夢と希望しかなかった自分が、入部後数か月で野球嫌いに(笑)
そんな状況のなかで参加した合宿は、ほんと最悪だった…。
合宿といっても近所の公民館に数日間泊まって朝から晩まで練習するという内容だったが、当時のトラウマであの公民館に行くと今でもテンションが下がる(笑)
特に嫌だったのが、夕食後のミーティング。
洗脳セミナーみたいな感じで、監督の自論を徹底的に叩き込まれる。
それもたしか毎日2時間ほど。
疲れや眠気と戦いながら、怒られないように一生懸命聞いていたのを覚えている。
練習もキツかったが、これも結構キツかった…。
そんなチームで、忘れられないプレーがある。
それは2つ上の先輩の試合での出来事。
試合の終盤、チームの選手がフォアボールか何かで1塁に出塁した。
ここで監督は代走を送る。
その代走の選手は、市の陸上短距離走で優勝したこともある俊足の選手。
もちろん監督からは盗塁のサイン。
そしてランナーはピッチャーの投球と同時にスタート!
圧倒的なスピードで2塁に到着し余裕でセーフ。
のはずが、止まりきれずにオーバーラン(笑)
そしてキャッチャーからの送球で、タッチアウト…。
この先輩、あまり野球のルールを知らなかったしスライディングもできなかった。
(スライディング自体知らなかったのかも・・・)
これはマンガのような本当の話。
鬼監督の手前、みんな笑いたかったけど笑いを堪えてたんだろうな~。
ほんとビックリした、今でも脳裏に焼き付いているプレーの1つ。
小学生高学年

そんなトラウマ製造チームを1年で退部…。
退部後は徐々に野球好きに戻り、親とキャッチボールをしたり、友達と近所の空き地で野球をして遊ぶ日々を過ごす。
初めてプロ野球を観戦したのもこの頃。
父親の友人たちと東京ドームに行き、巨人戦を観戦。
今まではテレビでしか見たことがなかったプロの野球を初観戦し、高い技術や東京ドームの雰囲気などすべてに感動。
特に生の応援の迫力には圧倒された。
ほんと興奮した初観戦だったが、一緒に行った親の友人がテンション上がりすぎて大騒ぎしていたのが最も印象に残っている(笑)
そして野球好きなライト番長は地元の公立中学校に進学し、野球部に入部する。
つづく(第二章はコチラ↓)